大正5年6月に八幡町立実科高等女学校が開校しました。その後、大正8年に第1回同窓会が開催されました。同窓会創設当時は「帆影同窓会」と呼称されていて、会長は学校長、理事は教員、幹事は卒業生(毎期2~3名)で役員が構成されていました。卒業生の少ない時代は相互の連絡は緊密で、母校の行事(音楽会・運動会)には卒業生が積極的に参加し、恩師や在校生たちと一緒に過ごすなど、大変活動的だったといいます。その記録は、校友会誌「帆影」に記載されています。

昭和4年から同窓会誌「錦綾」へと姿を変え、長きにわたり発行されていましたが、太平洋戦争の激動の中にその姿を消しています。
昭和49年から、錦綾会総会誌として復活し、毎年の当番幹事が取りまとめ、先輩方や後輩達の活躍などを卒業生へ伝える役目を担っています。

創設当初から、学校長が務めていた会長も、昭和27年に初めて卒業生による会長が誕生し、その後昭和39年には、新制・八幡中央高等学校卒業生が会長に就任しました。
市外には、東京・関西・熊本・君津支部(現在は、関東・関西支部)があり、古くは、昭和11年に高等女学校在学中の小宮悦子選手(高女15期)が明治神宮体育大会およびベルリンオリンピック大会(陸上競技100m走)に出場した際には、壮行会や応援など、当時の東京支部が大活躍しました。また、修学旅行や受験の際にも関東・関西支部の尽力により、後輩達が助けられてきました。昭和40年代まで、早稲田大学に「中央高校稲門会」があったことも特記すべき事項です。

最近では、平成24年に太田和臣選手(高校57期)がロンドンオリンピック大会(ウエイトリフティング競技)へ出場した際の、錦綾会からの温かい支援も記憶に新しい活動です。現在は、平成28年に記念すべき創立100周年を迎えるにあたり、物心両面にて力強い支援を継続しています。

錦綾会総会は、昭和初期以降年々規模を拡大し、筑前琵琶、能狂言仕舞、長唄勧進帳などの余興、地曳網や苺狩りなどの企画もあり、毎年趣向を凝らし開催されていました。
昭和40年からは、年1回の大総会として、母校体育館、新日鐵体育館、安川体育館などでの開催を経て、近年は北九州八幡ロイヤルホテルを会場として、多くの同窓生の集う総会となっており、平成29年には錦綾会総会も第100回の節目を迎えることとなります。